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独自の武士道論で知られる山鹿素行(1622〜1685年)は、赤穂に住んだ10年間、藩主の浅野内匠頭や、大石内蔵助ら四十七士を薫陶した。また素行の思想は、吉田松陰や乃木希典の生き様に体現され、脈々と受け継がれ、日本的道義を支えてきた。
道義外交を唱えた興亜論者の思想と行動の中にも、素行の思想的影響ははっきり見られる。例えば、興亜論者の田中逸平もまた、素行と乃木に傾倒し、その精神の継承者、田崎仁義(→関連文献)について次のように書いている。 「其學統と其精神を紹く者に畏友田崎仁義博士の西陲に健在なるを懷ふ」(「靈犀書屋雜話」(1))。また、田崎の『皇道及王道』を「混沌たる思想界の明星と謂ふべきなり」と絶贊している(「半月雜記」(12))。 だからこそ、田中は、次のように日本の軍人に高い道義を要求していた。 「せめて道を守るの任は之を帝國軍人に望むや切なり」、「武の一字は干戈を止むるを意味し、武即平和こそ皇國の道なり、武士道の根底なり」。 |
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さて、『中朝事実』は上皇統と下皇統から成り、それぞれ章構成は次のようになっている。
上皇統 天先章(天地自然の生成について論ずる) 中国章(風土の状況について論ずる) 皇統章(皇統の万世一系なることについて論ずる) 神器章(三種の神器について論ずる) 神教章(教学の本源について論ずる) 神治章(政治体制の基本について論ずる) 神知章(人間を知ることの重要性について論ずる) |
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